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Zoomaism~ズーマの音楽日記~

達磨meetsダリ

湯呑はある。俺専用の。
真夏でも温かい日本茶を飲むのは
俺くらいのもんだ。
そんな俺には、湯呑は必需品。

マグカップや洒落た保温カップの類は、
ダメなんだ。あれはダメだ。
温かい日本茶は湯呑でいただかないと。

もう何年も使っている俺専用の湯呑。
ちゃんと蓋もついている。
形がまたおつでたまらなくいい。
達磨の形をしいる。
形というか、陶器の達磨なのだ。

とにかく何年経っても気に入っている。過ぎている。

ここ最近、昼時には、スープをいただくことにしている。
その理由は、また書こうと思う。
スープといってもお湯を注げば出来上がりの代物。
ただ、このスープを達磨湯呑でいただくのは、どうも
気が引ける。申し訳なくすら思う。

そんなことで、本日からとうとう新品のマグカップをおろした。
昨夜の内に、鍋の中で沸騰させておいた。
このマグは、今年に入ってから友人からいただいたものだ。
芸術をこよなく愛するその友人は、とある美術館でこれを見つけ、
俺に送ってくれた。

ダリのモチーフに使われた蟻がカップに描かれたもので
あまりにリアルで本当にコップに蟻がはっている様だ。
しばらく観賞用に飾って、大切に保管しておいたが、
出番がやってきた。
スープ専用マグで飲むオニオンスープは、これりゃ格別だった。
これからさらに冷え込んでいくから、なおいい。

俺に限っては湯呑とマグカップの
二刀流って訳だ。
こんなめんどくさい奴も、周りじゃ俺くらいのものだ。
でも遠慮することはない、管理するのも洗うのも俺だ。
楽器と一緒で、他人になんぞ任しちゃおけねぇ。

と言いつつ、達磨でお茶を、マグでスープを俺が黙って
いても出してくれる身分にでもなったら、それはそれで
気分いいだろうけど。そんなことを想像しつつ、本日も
自分でいい頃合にお茶を入れる。

実家に行けば、骨董品のように大切に保管されている湯呑がある。
13年ほど前手に入れ、新品のまま一度も使わずに。
この湯呑は一体いつになったら使うのだろうかと思ってみたり。
きっと、おじいちゃんになってからだと思う、気がする。

その湯呑にまつわる思い出話を若い奴にしつこく、それはしつこく
聞かせているに違いない。
爺さんになり、その湯呑で誰かに毎日お茶を入れてもらえたら、
これ程の幸せはあるだろうか。

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  1. 2015/10/31(土) 12:57:09|
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今週の一冊 『斜陽』 太宰治

『斜陽』
太宰治

とある日本の貴族の一族が、時代に翻弄され、
生きてゆく様を描く。
時代は昭和に入り、いよいよ貴族制度が廃止される。
まさに新しい時代の幕開けだ。
そんな中、今までの価値観では生きてゆけなくなる
とある貴族の行く末。
貴族としてのプライド、移り行く時代の恐怖や不安。
庶民に対する憧れや嫉妬みたいなもの。

太宰が描写する、登場人物の深層心理みたいなものが
俺には生々しく伝わってきた。
登場人物の人格や気質、雰囲気までもが、ありありと。

自分が普段感じる感情や想いなどと、登場人物のそれを
照らし合わせながら、共感してみたり、イライラしたり、
悲しくなったりして、読ませてもらった。

中盤あたりから、何か嫌な気分になることもあった。
読み進めるのが嫌になると言うか、でも先が知りたい。

当然のことではあるけれど、

生きると言うことは、常に死と隣合せであるということ
  1. 2015/10/29(木) 17:19:28|
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今週の一枚 THE USED 『Imaginary Enemy』

THE USED 『Imaginary Enemy』

比較的新しい彼等の作品
6thアルバムになるのかな。

彼等の1stを熟聴して以来、かれこれ10年以上
経っている気がする。
1stを思い出すと、とにかく叫びまくっていた印象。
カッコよかった。

かれこれ10年ぶりに彼等の新作(俺にとっては)を
聴いた訳だが(2st~5stをスルーして)これが素晴らしい。
1stみたいに叫びまくっている感じではなくて、随所に絶妙に
シャウトを入れて、全曲いい。捨て曲なしだ。
1stから方向性は少し変わってしまったようだが、何の問題もない。

1週間聴き続けいるが、まだまだ全然聴ける。さらに1週間は聴ける。
ドラムもこの手のバンドにしちゃ、シンプルだから好みだし。
だいたいこの類のバンドのドラムは、手数が多いか複雑かだ。
難しい、いわゆるテクニカルなのは、演奏するのは無理。
聴くのもほどほどにしないと、疲れる。

正直、1stを聴いていた頃、このバンドは長続きしないだろうと
思っていた。なんか刹那的な、破滅的な、衝動的な。
そういうバンドはカッコいいけど、もろい気がして。

何に一番感動したかと言うと、そういう印象だったこのバンドが
存続し、方向性を変えつつ、生き残っていたこと。
そして気がつけば6枚ものアルバムを発表していたこと。

彼等について知っていることは、ほとんどない。
彼等をググって情報を集めたことを書くのも、あまり趣味じゃないので
これについては、このへんで。

確かボーカルのバート・マクラッケンは、オージー・オズボーンの愛娘
ケリー・オズボーンと当時、恋仲だったとか、何とか。
  1. 2015/10/29(木) 08:23:48|
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先週の一冊 『嫌われる勇気』 アルフレッド・アドラー

『嫌われる勇気』
岸見一郎・古賀史健(著)

フロイト、ユングと並び心理学の三大巨頭と称される
アルフレッド・アドラーの思想が凝縮された一冊。
「どうすれば、人は幸せになれるのか」
「世界はシンプルであり、人は変われる」
この哲学的な問いを哲人と青年の会話を通して解明していく。

ユングに代表される原因論ではなく、アドラーは目的論の立場をとる。
すなわち、トラウマを真っ向から否定する。
「善」つまり、自分にとって必要なこと。
今を変えられないのは、トラウマや経験を「善」なるものとしている結果。
客観的な事実は存在するが、それに意味付けをするのは自分自身。
俺の場合で考えると、ライブの打上に参加したくないから、
誰とも話すことはない、くだらない、酒も飲まない。
くだらない連中ばかりだ、楽しくない、孤立してしまうのが不安だ。
などという想いを捏造しているに過ぎない。と。
つまり、ライフスタイルを変える。選びなおすことも可能だ。
劣等感とは、自分は○○だから、もっと努力しようという動機にはなる。
ただし劣等コンプレックスとは、自分は○○だから、××できないとなる。
劣等コンプレックスが発展すると、優越コンプレックスを持ち始める。
できない自分を受け入れられない。
あたかも自分は優れているかのように振舞うこと。
権威づけなど、いわゆる、自慢しぃな奴のことだ。
不幸自慢もこれに含まれる。

承認欲求を否定する。
つまり、自分は他者の為に生きている訳ではない。
他者は、自分の為に生きている訳ではない。
即ち自由とは、他者から嫌われるこを恐れない勇気である。
まさに「嫌われる勇気」に他ならない。

課題を分離する。
人を操作しようとしない。自分の課題、他人の課題を見極める。
そして他人の課題には踏み込まないこと。

悩みの原因は全て人間関係
人間関係を構築していく上で大切なのは仲間意識と共同体感覚
共同体感覚を修得する上で必要なのが、自己受容、他者信頼、他者貢献
自己受容することは、普通であることに勇気をもつこと
他者信頼とは、信用とは違う。無条件に他者を信頼すること
他者貢献とは、人の為に何かをすること。人の役にたつこと。
これらによって、共同体感覚、つまり、そこで役に立ち、存在価値を見出し、
共同体の中で、自分の居場所を実感すること
全ての人と上下関係や利害関係などの縦の関係ではなく、
横の関係を築く。立場は違えど、みんな対等という意識

人生の目的。
行動面としては、自立すること、社会と調和して暮らせること
精神面としては、私には能力があるという意識をもつこと、
人々は私の仲間だという意識をもつこと


人生とは連続する刹那。いま、ここでしかない。
ダンスするように生きる。
気が付けば、どこかに到達しているもの


どこの章だったか、内容の半分もおそらく覚えていないが、
印象的な言葉の中から、一つ紹介して、この本まここまで。

自分が自分であろうとするとき、競争は必ず邪魔をしてくる。

  1. 2015/10/28(水) 17:20:57|
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記憶でなく感覚に訴える

インターネット上でよく見かける書籍の要約。

確かに、内容を掴むには、よくできているものも。

一度読んだ本を思い出したい時に、何度か見た。

簡潔に分かりやすくまとめてある。

思い出すには、合理的だ。

ここからは個人的な感覚的な話だ。

一度読んだ内容を思い出すには、非常に
合理的なのだが、記憶を刺激しているに過ぎない。

要約を読んだところで、本を読んだ時の感覚までは
思い出せない。
俺が思うに読書で一番大切なのは、感触だと思う。
雰囲気とも言える。高揚感や喪失感などを伴った
読書している時のあの感覚。
あれがないと、いくら記憶を刺激してもあまり意味がように
思える。
結局、また一から読むしかないのか。
読んだ内容をできるだけ記憶に残す読書を心がけてはいるが
全てを細かくは記憶できない。

音楽によく似ている。

いくらリズムパターンを覚えても、いろんなジャンルを
聴いても、感触や雰囲気を感じないと、とてつもなく
つまらないものになってしまう。

そのジャンルやアーティストが持つ感触を掴む。
音楽も読書もまず、感じることだ。

リズムパターンを思い出したり、内容を思い出すのではく、
なぜ、そう感じたかを聴くたびに読むたびに思い出す。

あの高揚感や喪失感は何だったのだろう?かと。



  1. 2015/10/27(火) 10:28:26|
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今週の一冊 『硝子戸の中』 夏目漱石(著)

今週の一冊
『硝子戸の中』
夏目漱石(著)

漱石、生涯最後の随筆集。
三十九回にわたって『朝日新聞』に連載された。

体調の思わしくなかった晩年の漱石が自宅(硝子戸の中)で
もの思いにふけっている様子がうかがえる。
ここで綴られるのは、他愛のない身の上話や、過去の出来事、
訪問者とのやり取りなどである。
テーマの一つとして貫かれているのは『死』
言葉の選び方、文章表現、全てにおいてずば抜けたセンス。
身の上話や思い出話でさえも芸術的に魅せる漱石マジック。
言葉や文章からも漱石の人間性が滲み出ていて、勇気をもらった。
本当に純粋で人間味溢れる人だったのだろう。
ともあれ、文章の肌触りからして、こういう文章は晩年にしか書けない
気がする。(この後、漱石は『道草』を残す訳だが)

その中から印象に残った漱石の言葉をいくつか紹介しよう。

「不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は~」
漱石ほどの地位や名声を得た人物であってもこんな風に感じて
生きていたのかと。

「死は生よりも尊い」

「凡て(すべ)を癒す「時」の流に従って下れ」

「公平な「時」は大事な宝物を彼女の手から奪う代わりに、その傷口も
次第に療治してくれる」


「双方とも社交を離れて勘破し合うのです」

「そうしてその見栄は金の力でなければ買えなかったのである」

「自分の位地や、身体や、才能―凡て己というものの居り所を忘れがちな人間
の一人として、私は死なないのが当たり前だと思いながら暮らしている場合が多い」


「死ぬまでは誰しも生きているのだから」

「元気な屈強な人の葬式に行った私は、彼が死んで私が生き残っているのを、別段の不思議
とも思わずにいる時の方が多い。然し折々考えると、自分の生きている方が不自然のような
心持にもなる。そうして運命がわざわざと私を愚弄するのではないかしらと疑いたくなる」


「「時」は力であった」

「極めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる」

「今の私は馬鹿で人に騙されるか、或いは疑い深くて人を容れる事が出来ないか、
この両方だけしかない様な気がする。不安で、不透明、不愉快に充ちている。
もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう」


「進歩もしない代わりに、退歩もしていなかった」

解説
「「時」に抗するには、何よりもまず「記憶」を呼び戻すことだ。

「「談話」はもちろん「社交」の一手段である。しかし、「社交を離れて」話したいと言う
漱石は、人の外面を観察することによってでなく、人の「心」に直接触れたいと
思っていたのだ」


  1. 2015/10/24(土) 13:33:19|
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今週の一枚 ウィーザー『エブリシング・ウィル・ビー・オールライト・イン・ジ・エンド 』

ウィーザー
『エブリシング・ウィル・ビー・オールライト・イン・ジ・エンド 』

パワーポップには随分はまった時期があった。
くれいぢというバンドで、和製パワーポップをやろうとしてたくらいだ。

パワーポップは創成期から聴き漁ったが、リアルタイムで聴いてきたのは
俺の世代の場合、このウィーザーになる。

まさに新世代のパワーポップであり、実にいい曲ばかりだ。どのアルバムも。
でも、どうにもこのバンド自体を好きになれない。

大好きなパワーポップであり、素晴らしい曲なのに。

イモっぽい、つまりダサい。
デビュー当時、「泣き虫ロック」と称されていたくらいだから仕方ないのか。

でも、これだけの人気があるのだから、世の中からはかなり評価されている訳で。

つまり、俺が期待するロックバンドでない。こう言った方が誤解がなくていい。

俺は音楽を聴くと言うより、バンドを観ている。

いくら曲がよくたって、カッコよくなきゃダメだ。

イケメンである必要はない。

ロック的な色気があるか否か

これが極めて重要。つまりセクシーさ。

これまで聴いてきたなごりで、この新作も1週間聴き続けた訳だが、
カッコよけりゃ、ズーマ的殿堂入りを果たすのに、実に惜しい。

それくらい曲は素晴らしい。

BIFFY CLYROというバンドを最近知ったが、動画を一瞬観ただけでハマった。
アルバムを聴かずして、ズーマ的殿堂入りを果たしてしまった。

彼等はとてつもなくセクシーだった。危うかった。

そして何より曲のセンスもずば抜けていた。

こうなるともう、一生がかりで聴くことになる。

ラバーズもそんなバンドにしたい。
  1. 2015/10/22(木) 16:43:28|
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のび太的幸福感

身内からヨガを習い始めた。

ガキからは、命令せずに提案することを教わった。

俺が守り教えている気になっているが、とんでもない話だ。

君等の目に見えない結界に守られているのは、俺の方かもしれない。

遠くからでもたまに感じる時がある、強力な結界を。

ありがとう。だから楽しく平和に生きていられる。

君等の異常な疲労感は、もしかしたら俺を守りすぎているせいかも。

まったく、のび太みたいだな、俺。

あまりにダメ過ぎて、たぶん放っておけないレベルなのだろう。

  1. 2015/10/21(水) 17:37:24|
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フリーな時間

フリーな時間。

一見フリーに見えるけど、何かの目的の為に
フリーな時間を捻出しているだけだ。

だから、それはフリーでも何でもない。

アポが入ってないだけ、一人で完結できるというだけ。

昨日の午後は、そんなフリーに見える時間だった。

フリーの目的は、ずはり野菜と肉の加工。
この為だけにフリーの時間を捻出した。

「何だ、フリーなんだったら連絡しろよ」とか
「案外、暇な時間もあるんだ?」とか言われたりするけど。

バカ言え、アポがないだけ、出掛けないだけで、
フリーの為のフリーじゃない。つまり、フリーじゃない。

毎日買い物に出掛ける気力も時間も金もない。
週末にディスカウントスーパーでの買いだめが鉄則。

小さな冷蔵庫に肉、魚、野菜などをいかに効率良く、
鮮度を保ったまま保存するか。場合によっては加工するか。

台所で一人、ひたすら、身内達の1~2週間分の食料を保存・加工していく。
彼等の食生活は俺の手にかかっていると言っても、過言ではない。

午後の静かな台所での作業は、時を忘れて、自分だけの空間。
誰の指図も受けない、時間は気にしなくていい、俺しかいない。

まるで職人のように、保存する。嫌いじゃない。

この感覚、俺的には、本当の意味でフリーだ。
最高の午後。

以前からしかり、食物の保存・加工の作業にイヤに集中して
こだわってしまうのは、なぜなのだろう?

午後の半日を丸々空けてまで、やることか?

おそらくそれは、生に直結した行為だからではないか。

まさに衣食住。

人間は、驚くほど単純な生物だ。本来。
  1. 2015/10/20(火) 09:37:51|
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役に立つライブ

作品は誰の為に創る?

ライブは誰の為にやる?

仕事とは人の役に立つことだと思う。
役に立つからお金が貰える。

毎日どこかでライブしていたい。
でもその為には、ライブでお金稼がないと無理だ。
つまり、それは大勢の人の役に立たないと無理ってこと。

評価されたいのと役に立ちたいのはどう違う?
評価されれば、されるほどお金に繋がる。
つまり、それは人の役に立っているということになる。
何か妙な感覚だ。

だとすると動機か?
人の役に立ちたい一心で音楽をやるのか、
名声やモテたい一心で音楽をやるのか。

少なくとも俺は、役に立ちたい一心でやっていない。
かと言って、名声などにも興味はない。

でも、役に立てるものなら役に立ちたい。

タダでライブ観せてやると言ったところで、
役に立てないんだ、これが。
  1. 2015/10/19(月) 12:15:13|
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今週の一枚 kasabian 『48:13』

今週の一枚
kasabian
『48:13』

確実にいいものが聴きたかったので、今週はコレを選んでみた。
この作品を聴くのは、初めて。

彼等のファーストは衝撃的に良かった。
それからイメージするに、いい作品であることは想像に難しくない。
結論から言うと、聴いた瞬間に安心できた。予想以上に良かった。

俺がこのバンドの出す音楽に感じるのは、一言で言うと「革命感」
音楽性や音そのものが革新的という意味ではない。

世に言う「革命」

歴史を語る上でよく登場する「革命」と呼ばれる出来事。

この言葉が彼等のイメージに一番しっくりくる。

未だかつて、革命と言う言葉そのものだと思うバンドは
rage against the machine以外に他はない。

どちらかと言うとrageは、暴力的な革命のイメージ。
kasabianのそれは、もっと知的なイメージ。

これ以上説明できないが、ロックバンドに必要な要素を
何とも絶妙に兼ね備えていることは確かだ。
  1. 2015/10/16(金) 17:29:18|
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それは忍者の物真似か?

ラグビー日本代表の五郎丸選手の真似をする人達をよく見る。
あの祈りポーズ?を真似る人達がテレビによく映る。

個人的にラクビーファンでもないし、ルールもよく知らないが。
しかし、それにしても変だろ、真似る人達のポーズ。
忍者みたいなポーズ?
試合中継もほとんど見てないが、明らかに五郎丸選手は、あんな
ポーズはしてなかったろ?
正直、あのポーズを真似る人達を見るたびにイライラしていた。
真似るならちゃんとやれよ。

すると今朝のニュースに五郎丸選手が出ていた。
「研究が足りない、立っている指は4本です」と言っていた。

すっきりした。よくぞ言ってくれた。
おかげですがすがしい朝だった。

別にラクビーに興味はないが、日本のラクビー超絶にカッコよかった。

日本人の誇りです。ありがとう。おつかれさまでした。



  1. 2015/10/14(水) 10:00:06|
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先週の一冊 『頭は「本の読み方」で磨かれる』 茂木健一郎

『頭は「本の読み方」で磨かれる』
茂木健一郎 著

脳科学者である著者の「本の選び方」「味わい方」「実践へのつなげ方」を解説。
インターネットの到来で本は淘汰されると言われたが、結局本の価値は変わらなかった。
この本の内容を一言で言うと「頭がよくなりたければ本を読め」ということ。

頭がいいってどういう人のことだろう?
一言で言うと「あやうい人」。本を読めば読むほど、広い世界が見えるようになる。
それはある意味危険エリアに侵入するということ。薬と毒は紙一重、本も毒になるかもしれない。
しかしそのギリギリのバランスで生きていくのが「頭のよさ」「知性」だと。

本を読むことは、感情を動かすこと、体験すること、人の考えを獲得すること。
読書によって頭に蓄積された知識は、発酵させることによって育ち続ける。
いい読書は、人間にしかない能力「雑談力」の底上げになる。
雑談力が人間の幸福度を決める。
言葉を知るということは、自分を知るということ。
苦労して報われたとき、脳は最もドーパミンを出す。
すなわちギリギリのレベルで読書する。
読書の中での体験が生きる上でのワクチンとなる。
ベストセラーを読む。
読書からくる悩みや葛藤っは脳の成長に欠かせない。
書かれていることを模倣するのではなく、自分が人生のつくり手だと意識する。
読書は、人間だけの知性を鍛える
つまり、共感能力が上がる、雑談力が上がる。
雑食で同時進行で複数読む。
本当の知性とは、こうあるべきだという呪縛から解放されること。



  1. 2015/10/12(月) 15:17:44|
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先週の一枚Forever the Sickest Kids 『J.A.C.K.』

先週の一枚
Forever the Sickest Kids
『J.A.C.K.』

歳のせいか、この類の音楽はあまり聴かなくなった。
飽きたのかもしれない。
でも先週はあえて選んでみた。一週間この1枚で過ごす。
現代KIDSの間では、これをエモとかパワーポップと呼ぶらしい。
時代は変わってしまった。
イライラするだけだ、ジャンルのことは無視しよう。
聴いた瞬間、飽きた。漠然とこの手の音質に飽きた。
こういう類のバンドは大好きだったはずだけど。
しかし、少なからず移動中は1週間、この1枚が流れ続ける。
繰り返し15回は聴いたと思う。
いよいよメロディーを覚えてしまった。
飽きたけど、いいセンスしていると思う。
適度なパーティー感、適度なシンガロング感、
適度なヤンチャ感、適度なメロディアス感。

飽きたって言うのは簡単、作る方は大変なんだ。
飽きたけど、カッコいいと思える。
そう思えなくなったら、おしまいだ。
そんな思いでバンド続けている。
  1. 2015/10/11(日) 13:13:19|
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センスが良けりゃ

我等がラバーズのライブをさらによくする為
考えた一つのアイデア。

昔の曲をライブに組み込む。
今の曲と繋げてセトリを考えてみる。

その為には、昔の曲を演奏できないと話にならない。
すっかり忘れている。演奏も感覚も。

もしかしたら、このアイデア自体うまくいかないかもしれない。
でも、全ての曲をライブでできるレベルにしてみる。とりあえず。
そこまでやったら、また見えてくるものもるだろう。

全ての曲の演奏も感覚も手中に収めなければ、
斬新なセトリなんて思いつかないだろう。

ライブ全体をどう見せたいのか?

ライブを観た人が、どう感じるかは、そに人の問題。

俺達の仕事は、センスのいいことをすることだけ。
センスのいいルックス、センスのいい言動、センスのいい曲、
そしてセンスのいいライブを。

好み違いのお客を振り向かせるのは、このセンスだけだと思う。

30分間のステージ、何をやってもいい。楽器を使って何をやってもいい。

いかに目の前の人達全員を感動させるか、時代、客のジャンルや好みにこだわっていたら
キリがない。俺達の好みや正義を押し付けてかまわない気がする。
押し付けがましくなく、センスよく我がままなバンドでいいと思う。

  1. 2015/10/08(木) 09:52:19|
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深聴

ここ数年、一枚のCDを深く聴くことが減った。

買うことが減った。

借りるとなれば、まとめ借り。

だけに乱聴になる。

これがよくないと分かった。

確かに割安、合理的。

最近読んだ本に深読という言葉が出ていた。

使える。「深聴」気に入った。

気に入った言葉はしつこいと言われるまで、

使いまくる。深聴。

たくさんあっても、深聴できない。

乱聴ではなく深聴。

あえて割高で非効率だけど、

1枚だけ1週間レンタル。

1週間それを聴き続ける。

およそ、それのみを。

1週間カレーライスを喰い続ける勢いで。

広く浅く聴くなど、無理。

そんなに俺は器用ではない。

いや恐ろしく不器用ではないか。

ガキにまで言われた。

マイペースすぎるよ、と。

いいんだよ、それで。

自分のペースも守れない奴が
人のペースに合わせられるか?

  1. 2015/10/02(金) 17:31:44|
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